スケルトン・エピ

letsspeakのブログです。

整理とか

昨晩はナチュラルハイで6時まで起きていたので、今日は割と眠いのだけれども、アウトプットしなさすぎて脳内にエラーがたまりつつあるので、世界改変を防ぐためにもここらで少し何か書いておこうという感じです。

最近書きたいなーとかやりたいなーとか思っていること

プログラミング学習系Youtuber

これはもう「プログラミング」「エンジニア」とかでYoutube検索してもらえればわかる通り、ほんと上部だけをくっちゃべってあわよくば囲って食って金をもらおうと思ってる人たちが多すぎて本当に辟易している。 本当に当人のことや将来の発展を考えるならば、コンピューターサイエンスだったり、初歩から応用、考え方の授業を動画にするべきだよね。っていいつつ自分も何もしていないのであれだなーとか思っていたけれど、きちんと文章化してみると囲って食って金をもらおうと思ってる人よりは全然マシじゃない?と思った。やっぱりアウトプットって大事ね。

インターネットの優しさの話

いわゆる炎上とか叩きってやつの話。まずメソッドとして目立ちやすくて共感を得る系のSNSでも共有されやすいのね。だからすごく目に入る。すごく目に入ると人の社会性なんちゃらの仕組みで自分も真似したくなる。だから悪意がなくてもどんどんそうなっていくのかなーとか。でも最近は増えに増えすぎて逆ポジとる人も多くなっていて、「流石にやりすぎじゃない?」とかねFF14関係のTwitterとかでそういう流れ一度みたりしていて、もしかするとネットの中に具体的なキャラクターや自己投影がされていけばされていくほど、こういうのは減っていくのかもしれないなーとか思う。

詳細設計の話

結局ゴールがどこにあるのかちゃんと決めましょうって話が結論。SIとか詳細設計とか自分も深層まで携わったことは多くないけれど、最近強く思ったことは将来的な改築を見越しているようなときは詳細設計する人にも高度な技術的知識が必要だよねと思う。というか詳細設計って結局「それを満たすようにただ作れ」っていうためにできたんじゃないかな。そうすると実際のコードの設計が低くならざるを得なくてそういう部分の負債を返すみたいな仕事を最近したりして思うところあった。特に最近の言語は昔の言語になかった機能とかが豊富だからそういう部分を考慮した設計が必要よねとか、「ただ作れ」じゃなくて作る人の能力を認めて任せられるならホワイトペーパーとかデータフローをきちんと図にするだけで十分じゃないとか。でもテストとかUI/UXまわりはある程度のセンスが必要でかなり個人差でるんだよね。自分は想像力結構高めで勉強もできたからわりといい線いってるとおもうんだけれども、個人差の壁って本当に難しいよね。

さてさっきの昔の言語似なかった機能とか〜の話、うまく説明できる例になっているかしらんけど、昔つくったカードゲームの「デッキ編集画面」っていうのがとても良い例で、「所持カード一覧画面」からも開けるし、「戦闘準備画面」からも開けたりするわけで、「戻る」とか「決定」ボタンを押した時の動作が「前の画面に依存する」わけ、まあそのくらいなら詳細設計にもわりとシンプルに定義できそうなもんだけれど、なんだっけな、わすれたけれど編集画面→ユニット選択→合成→ユニット選択みたいな感じでどんどん入れ子みたいに深くなる可能性があるわけ。あれ、この話だと本来したかったのは「ユニット選択画面」の話かもしれない。そうすると「戻る」の定義ってのは固定じゃないわけで完全に前の画面に依存するわけ。そういうのってプログラミング上は関数ポインタ、クロージャ、無名関数、ラムダ、なんでもいいやそういうの使うわけじゃん。これは一例にすぎないけれどそういうプログラミングパラダイムに根ざした設計って本当に詳細設計で正しく記述的できる?ってのは思うよね。

コスプレイヤーの話

なんかさいきんTwitterで可愛いコスプレイヤーを見かけるたびにフォローしてるんだけどタイムラインが可愛い女の子にあふれてしまって肉欲は満たされるけどどうも消化不良というか、そういう「可愛いバトル」って本当にこれどこまでいつまで続いていくの?大丈夫?ってなんか不安定な気持ちになるよね。

個人開発とかの話

最近全然個人開発できてないなーという状況で、家のMacでこんなにタイピングするのもこの文章が久々なんだけれどもいい流れの入り口になるとよいなー。